EDは男性側に問題がある?
いいえ。そうとも言い切れません。
EDはカップル2人の問題です。奥さんや恋人に打ち明け相談し、2人で解決しようと試みるのが最善の姿です。
馬並師匠
さる
SEXは一人ではできない
下記の記事にはこう書きました。
病気などの器質性の問題がなく、心因性が問題なのであれば、パートナーの対応次第で状況が改善されることがあります。SEXは一人ではできません。二人で話し合い、愛し合えば、自ずと答えが見えてくるはずです。
EDの悩みは一人で抱えていないで、奥さんに必ず相談することを推奨します。下記の記事にも書いたように、
セックスレスが続くと女性は、
- FSD
- 腹圧性尿失禁
- 過活動膀胱
- 女性泌尿器科疾患
等の様々な問題を引き起こす可能性があります。セックスの『成功』のカギを握るのはどちらか一方ではありません。お互いが握っているのです。その事実に真正面から向き合えた時、きっと問題は大きく改善へと一歩進むでしょう。
- FSD
- 腹圧性尿失禁
- 過活動膀胱
- 女性泌尿器科疾患
EDはカップル2人の問題
(省略)つまり、EDはカップル2人の問題なのです。ですから、男性の側はまず”男のメンツ”などは捨てて、EDかもせいしれないこと、治療を受けようと思っていることなど、素直に自分の気持ちをパートナーに打ち明けてみましょう。きっと理解を示してくれるにちがいありません。
EDは女性版EDである、FSDの原因となり、それは様々な病気を引き起こす原因となる場合があります。ですから、『奥さんの為になる』と思って、奥さん、そして泌尿器科などの専門医に告白することが大事ですね。
馬並師匠
さる
- SEXは一人ではできない。
- 病気などの器質性の問題がなく、心因性が問題なのであれば、パートナーの対応次第で状況が改善されることがある。
- 二人で泌尿器科に相談する。
治療方法とその内容
上記の記事にある程度診察については書きましたが、そこに書いたようにEDの治療は、
- ED治療薬
- カウンセリング
の2つの方向で行うことが原則です。 カウンセリングの場合は、奥さんと一緒に受けることもあるのですが、その理由は、EDが『パートナーとのストレス』の問題がとても重要だからです。
『EDは治療で治る病気』(医学芸術社)にはこうあります。
仕事や家族環境もストレスの要因ですが、突き詰めれば、パートナーとのストレスが一番多く、EDを発症する重要な起因にもなっています。では、EDを誘発するパートナーとのストレスはどんなものでしょうか。この点をまず探り出さなければなりません。
しかし、実際に、その原因を掘り出すにしても、まず診察に訪ねてくるEDの患者は男性であり、しかもEDは熱や汗といった自覚症状が表に出る風邪などの病気とも違います。知る手掛かりは本人の口から聞く以外にありません。さらにパートナー間に関するストレスは、等のパートナーからも聴取しないと、正しい診断ができなくなり場合があります。また、当然、パートナーを相手にカウンセリングをしなければならないケースも出てきます。
男性側から一方的に聞いても話はまとまらない場合がありますからね。特に心因性EDを抱えている場合は、考え方が歪んでいる可能性があります。歪んでいる考え方の人は、自分が歪んでいると考えません。したがって、無意識に自分のことを棚に上げ、正当化し、妻だけが悪いように言うかもしれません。
しかし本当は男性側に問題があるということがあるかもしれません。カウンセリングというのはそういう認知の歪みを知るためにも大切な治療法なのです。そして、双方をカウンセリングするということも大切だということがわかりましたね。
馬並師匠
さる
- 正確なカウンセリングをするには二人必要。
パートナー同士で話し合うことの大切さ
本にはこう続きます。
しかし、男性およびパートナー間のストレスは、専門医のアドバイスを受ける前に、何といっても本人同士が問題点を探り、前向きに話し合うことが解決の近道です。つまり、パートナーとのストレスは、よくコミュニケーションを図ることがED改善策の一歩になります。
専門医の意見を聞く前に、まずお互いで話し合うことが大事だと言っていますね。こういう理由からも、EDの悩みは一人で抱え込まず、奥さんやパートナーに打ち明けることが大事なのです。
この記事に書いた私の知人は、10代でEDとなりセックスレスとなったわけです。19歳でしたね。その理由はいまだに想像の域を出ませんが、一つだけ言えるのは、二人はその問題について話し合わなかったということです。
だから女性側が知人の母親に相談したり、間接的に男性側に伝えたりという、遠回しな対話が行われていたんですね。しかし私はその男性の性格をよく知っていますからわかりますが、おそらくその後も二人で話し合わなかったでしょう。
そこまでかたくなに話をしない理由は、よほどその理由がナイーブなものだから、ということでしかつじつまが合いません。ですから記事にも書いたように『性器』の問題とか、自尊心の問題とか、そういうギリギリの部分が関係している可能性が高いですね。
先ほどの専門家は、『男性の側はまず”男のメンツ”などは捨てて、EDかもせいしれないこと、治療を受けようと思っていることなど、素直に自分の気持ちをパートナーに打ち明けてみましょう。』と言っていましたが、しかしそれを実際にできる男性は、そう多くないのかもしれません。
それにこの知人はまだ19歳でしたからね。精神未熟であるのはある種当然。見栄も虚勢も張るし、自分の素直さすら理解できていない可能性の方が高い時期ですからね。そういうことが起きても仕方ないと言えば仕方ないかもしれません。
しかしとにかくこの二人は話し合わなかった。そしてそれが原因とも言っていいでしょう。その後二人は間もなくして、別れることになりました。その理由は二人にしかわかりませんが、おそらく人に漏れないということは、『漏らしたくない』ようなナイーブな事情があったのに違いなく、そうすると考えられるのはいくつかの理由しかないということなんですね。
馬並師匠
さる
- パートナー同士で話し合うことの大切さを理解する。
女性のキモチ
その女性はとても不満そうでしたね。
やる気はないくせにおっぱいは触ってきて。こっちはそれでその気になるのに。
セックスレスが原因で欲求不満となり、お酒ばかり飲んでいましたね(お酒を飲んでいたので彼女の方は20歳を超えています)。たしかにその話を聞くと、男性側に落ち度があるように見えます。
『ニッポン男子の下半身が危機的なことに気づいたワタシ (扶桑社新書)』にはこうあります。
女性は男性と違って、そもそも自発的な性反応がありません。排卵期などを除き何もないのに突然『したいなあ』となることは少なく、ボディタッチや言葉など、男性からの『したい』というアピールに刺激され、性的興奮が高まるんです。そうしてセックスをすると、精神的満足を得て、よりパートナーとの親密度が増すという流れができ、それを繰り返すことで性的欲求が維持されるようになるんです。
女性はその男性からのアピールによってその気になったわけです。しかし男性はそれ以上行わなかった。それは確かに女性の性質からして欲求不満になるだけですよね。
EDやFSDというのは、やはりパートナーとの話し合いが大きなカギになるのです。もしどうしても二人で話ができない場合は、誰かを間に入れるか、お医者さんに相談することが最善ですね。
ただ、彼らのように20歳やそこらで医者に相談するのはあまりありませんね。言ったように見栄もありますし、そもそもまず若さゆえに根拠のない自信があって、
別にこの問題でそこまで深刻に考える必要はない。放っておけば治る
と考える人がほとんどでしょうね。しかし中高年だったり、あるいは新婚で、これから子作りをしようという人達、あるいは結婚してすでに夫婦である場合などは、それが原因で離婚することもありますから、深刻に考える必要があります。
『オトコの病気 新常識』にはこうあります。
EDと違い、FSDにはほとんどの人に効くような決定的な薬がない。そのため、治療ではさまざまな薬を試行錯誤で使ってみることになる。その際に欠かせないのは、パートナーである男性の理解と協力だ。性生活はパートナーと2人で楽しむもの。お互いに相手を思いやる気持ちをもってこそ、本当の意味の満足につながる。
団塊世代の退職が始まり、高齢者夫婦の人口が今後ますます増加していくと予想される一方で、『熟年離婚』などという言葉が、もはや一方的になりつつある。加齢にともなうお互いの精神的・身体的変化に配慮し、充実した性生活を送ることは、生き生きした老後を迎えるうえで、大きな意義があるといえるのではないだろうか。
EDやFSDから『熟年離婚』なんていうこともありえるんですね。ですから、夫婦でこのような問題を抱えている場合は、必ず二人で相談するようにしましょう。
馬並師匠
さる
- EDやFSDから『熟年離婚』もあり得る。
夫婦のキズナ
また例えば、下記の記事に書いたように、勃起に有効な食事というものがあるわけです。
それから下記の記事に書いたように、半日断食など、酵素断食をして、酵素の面からEDを治療するやり方もあるわけです。
そのためには、やはり奥さんの力が必要不可欠ですよね。奥さんは本来、自分と一心同体であるべき人。全てを包み隠さず話せるような夫婦関係であるのが理想なのです。
ニーチェは言いました。
たとえ今までがそういう関係でなくても関係ありません。夫婦生活は長い会話です。つまり、夫婦である以上は、その会話の途中なのです。ここからまた新しく、会話をして理解しあえばいいのです。
『ソクラテス・イエス・ブッダ―三賢人の言葉、そして生涯』にはこうあります。
喜劇作家であるアリストパネスは演説でこう言った。
『かつて人間は二つの肉体が背中合わせとなった存在であった。』
一体となっている二つの肉体のどちらも男である場合、どちらも女である場合、そして男と女である場合(両性具有=アンドロギュロス)があった。残念なことに、ゼウスの決定により、 彼らの肉体は二つに分断された。
それ以来、私たちは分離されてしまった片割れを求めている。
元の肉体の組み合わせにより、求める片割れは男もしくは女である。アリストパネスによると、この探究こそが私たちが愛と呼ぶものである。愛とは、失われた原初の結合を回復しようとする欲求である。愛によって自分と一体であるべき片割れを見つけ出し、私たちの本来の姿を完全に回復できた時、私たちは最高の幸せを手に入れることが出来る。
この話は単なる神話です。本当のことではありません。しかし、これが本当のことだと思っても、なぜだか悪い気はしない。夫婦とは本来、そのくらいの絆で結ばれているかけがえのない存在なのかもしれません。
馬並師匠
さる
- 夫婦生活は長い会話である。