ストレスはEDの原因になる?
なります。
ストレスは大きく分けて二つあります。
- 社会的ストレス
- 生物学的ストレス
の2つです。前者は通常認識している精神的負担のことで、後者は『酸化ストレス』といって、活性酸素からの攻撃を受けている状況を言います。この2つのストレスが、そのままEDの原因となるのです。
馬並師匠
さる
インサイド・アウト
下記の記事に、EDになりやすい人についてまとめました。
その中で、
- うつ病になりやすい性格(真面目で完ぺき主義)
- 食事・運動・ストレスの3大要素をぞんざいにしている人
というポイントが挙げられていますが、やはり精神的な面が勃起現象に与える影響は大きいと言えます。真面目で完ぺき主義な人はうつ病にもなりやすく、EDにもなりやすいですからね。神経質に、細かい部分を気にしてしまって、それで気持ちが萎えてしまい、ペニスも萎えてしまうのです。
下記の記事にも、ストレスとの向き合い方について、アドラー心理学などの観点から考え方について、そして、『インサイド・アウト』について詳しく書きましたが、心の在り方一つで、人はうつ病やEDにもなるし、偉人にもなり得るという事実を直視する必要があります。
例えば、インサイド・アウトのその記事同様、下記のような記事があります。ここにまとめた知識はとてつもないものです。見ればわかります。
人生の逆境やピンチに直面したとき、それにただ絶望を覚えるか、むしろそこにチャンスを見出すかは、自分次第なのです。
マルコムXはこう言い、
イギリスの政治家、ウィリアム・グラッドストンはこう言い、
松下幸之助はこう言い、
ヘンリー・フォードはこう言っています。
自分に『ストレス』という負荷がのしかかったとき、それを『単なる重荷』だと捉えるか、自分の実力を鍛え上げるための『ダンベルのような重り』だと捉えるかは、自分次第なのです。
もし、そういうメンタルコントロール、あるいはセルフマネジメントができたなら、もうストレスに悩むことはなくなります。人生を生きて、ストレスを避けることなどできません。ネガティブな人は、その現実をただただ憂いて嘆いてしまいますが、ポジティブな人は違います。
だとしたら一生鍛え続けられるじゃないか!
と、その状況を逆に喜ぶのです。
ネガティブな人は、ある種『無知な人』です。そういう事実を受けても、
一体いつまで鍛え続けるんだ…一生鍛え続けるなんて苦痛だよ…
と考えてしまいます。しかし、
シェイクスピアはこう言い、
高杉晋作はこう言い、
御木徳近は言いました。
努力して、創造していく間のことを『人生』と呼ぶのです。その考え方に達していない人は、『未熟な人』となります。それはもちろん、『無知な人』ですね。
馬並師匠
さる
- 真面目で完ぺき主義な人はうつ病にもなりやすく、EDにもなりやすい。
- インサイド・アウトの重要性を知る。
認知が歪んでいない人も珍しい
様々な『認知の歪み』については下記の記事にも書きましたが、例えば、
これらは全て、『認知のゆがみ』だと判断されるものです。このうちのいずれかに該当する場合は、そこにいるのは無知であり、未熟な人ということになります。例えば、下記のような真理があります。
この真理を理解するためには、下記の記事のこの文章を読むとわかりやすいでしょう。
この現象を現代の日本人にわかりやすく言えば、『一発屋芸人』だ。彼らの多くは、偶然この透明のドラゴンが背後にいただけに過ぎない。しかし、目の前に湧き上がる圧倒的なエネルギーに彼らの目は吸い寄せられ、背後にある甚大なエネルギー源の存在に気づけていない。目の前で起きていることが、全て自分の手柄だと思っているのだ。自分の手柄だと、思い込みたいのだ。
だが、ドラゴンが気まぐれに去った後、そこに残っているのは自分の力を過信した芸人たちと、ドラゴンの烈火の炎で焼き尽くされて跡形もなくなった焼け野原である。
(中略)
追記2017年7月:ある番組で一発屋芸人、あるいは一時期人気があったが、今は人気がなくなってしまった芸人が登場し、それを『自己分析する』というコーナーがあった。すると、面白いくらいに彼らはその自己分析で、『自分たちの実力ではなく、他の芸人や環境、スタッフや扱われ方等に原因があった』と主張した。
彼らは見事に『アウトサイド・イン』の発想をしていて、『第18の黄金律』、
『アウトサイド・インではない。インサイド・アウトだ。』の重要性を理解していなかった。
ただ一人、『レイザーラモンHG』が、
見えないバトンのせいだった
と言って少しだけ真理をかすめたが、それもよくよく聞くと、『自分の実力ではなく、そのバトンの存在のせいだ』というアウトサイド・インの発想があることがわかり、『最初のヒットは実力だ。だが、見えないバトンを渡さなければならない動きが働き、やむを得ずそうするしかなかった』という、自分の力の過信と、『見えない何かの力』の実力への過小評価があることがわかり、『透明なドラゴン』の存在に感謝する謙虚な気持ちが垣間見えることはなかった。
人間が転落するとき
過信してはならない。透明のドラゴンの力を借りただけなのだ。しかし、その現実を受け入れられる知性ある人間は滅多にいない。それもそのはず、皆、成功を夢見てその分野で奮闘していたのであり、ついに掴んだビッグチャンスなのだ。どうしてもそこに執着してしまうのである。『執念』が『執着』に変わってしまうのだ。
野心もある。大物と言われた人間を超える可能性が自分達にはあると、信じたい気持ちもある。だが、その気持ちが人を盲目にさせる。
ここに出てきている一発屋芸人たちは、様々な『認知の歪み』に毒されていることがわわかりますね。
自分たちが大当たりしたのは、一発屋芸人だからではなく、実力があるからだ
そう考えてしまうのは、 『恣意的推論』であり、『極端な一般化』です。私は何度となく、一発屋芸人たちが、
自分たちだけは違う!
と過信して大口をたたき、そして淘汰されていった姿をこの目で見てきました。
馬並師匠
さる
- 認知が歪んでいない人も珍しい。
アウシュビッツ強制収容所にいた人たちでさえ
人間の人生は『インサイド・アウト』でどうにでもなります。たとえ自分がいる場所がこの世の果てであっても、地獄のような場所であっても、人はストレスから解放され、前向きに生きていくことができるのです。
それを理解するためには下記の記事に書いた、
ナチスの強制収容所に収監され、人間の想像を絶する3年間を過ごしたドイツの心理学者、ヴィクトール・E・フランクルの著書、『夜と霧』にあるこの文章を読むのが一番です。
そのとき、ある思いがわたしを貫いた。何人もの思想家がその生涯の果てに辿り着いた真実、何人もの詩人がうたいあげいた真実が、生まれて初めて骨身に染みたのだ。愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ、という真実。
今私は、人間が詩や思想や信仰を通じて表明すべきこととしてきた、究極にして最高のことの意味を会得した。愛により、愛のなかへと救われること!人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ。
(中略)
ほどなく、わたしたちは壕の中にいた。きのうもそこにいた。凍てついた地面につるはしの先から火花が散った。頭はまだぼうっとしており、仲間は押し黙ったままだ。私の魂はまだ愛する妻の面影にすがっていた。まだ妻との語らいを続けていた。そのとき、あることに思い至った。妻がまだ生きているかどうか、まったくわからないではないか!
そして私は知り、学んだのだ。愛は生身の人間の存在とはほとんど関係なく、愛する妻の精神的な存在、つまり(哲学者のいう)『本質』に深くかかわっている、ということを。愛する妻の『現存』、わたしとともにあること、肉体が存在すること、生きてあることは、まったく問題の外なのだ。
ホロコーストにおいて彼らユダヤ人がどのような目に遭ったかを知りたい人は、下記の記事を見るといいでしょう。ただし、覚悟が必要です。生半可な覚悟では見ることができません。
しかし、私はそれを見るべきだと断言します。自分よりもはるかに不遇の状況を強いられた人々が、もちろん、ストレスで死に追いやられる人も大勢いる中、何とかして生き延びた人がいるのです。そういう人は、いったいどのような考え方で、そのような地獄を生き延びたのでしょうか。
それこそは、『インサイド・アウト』なのです。『自分の身の回りで起きている現象のカギを握るのは、自分だ』と考える、主体的なその発想なのです。
ストレスの対策、リフレッシュの方法はたくさんあります。
- お風呂
- マッサージ
- 自然散策
- アロマテラピー
- アニマルテラピー
- おしゃべり
- 運動
実に様々な方法があります。しかし今回は、ある種の『内面矯正』のような考え方で、心因性EDに役立つようなお話をさせていただきました。もし、アウシュビッツ強制収容所にいた人々と比べ、
自分はなんて幸せなんだ…
と思うことができたのなら、そこにあるのは心の平穏です。それが何を意味するかは下記の記事に任せます。
馬並師匠
さる
- 足るを知り、インサイド・アウトの重要性を理解すれば心は平和になる。