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EDの改善や対策として『瞑想』はどれだけ効果があるのか

EDの改善や対策として『瞑想』は効果がある?

あります。

しかし、瞑想の方法を確実に行うことがポイントです。それと、重い病気などで器質性EDになっている場合は、瞑想だけでは治療できません。

馬並師匠

瞑想の力は計り知れないよ!ただ、そのやり方をわかっている人が少ないね!詳しく解説するね!
師匠に任せれば大丈夫っす!

さる

瞑想は確かにリラックス効果があるが宗教的じゃない?

勃起の仕組みを見てみましょう。

 

  • STEP.1
    エッチな刺激
     
  • STEP.2
    副交感神経興奮
     
  • STEP.3
    NO(一酸化窒素)放出
     
  • STEP.4
    cGMP増加
     
  • STEP.5
    陰茎海綿体平滑筋弛緩
     
  • STEP.6
    動脈血大量流入
     
  • STEP.7
    勃起
     

 

という流れが勃起の仕組みなのです。

 

  • 交感神経が優位=緊張、不安
  • 副交感神経が優位=リラックス

 

ですから、副交感神経が優位になることが勃起の条件です。瞑想によって心を整え、リラックス効果を得ることができれば、EDは改善する可能性が十二分にあります。

 

ED

 

マドンナはこう言っています。

 

瞑想の力を理解していない人は、損をしています。私は無宗教です。しかも、筋金入りです。なんせ、冠婚葬祭に行きませんからね。家族のものであっても。理由は簡単です。無宗教者だからです。私のように無宗教に徹している人はどれだけいますか?

 

結婚式を教会で挙げ、葬式仏教を行い、神社に初もうでに行っている人はいませんか?私はすべてやりません。何しろ、無宗教者だからです。

 

これで私が宗教を推奨する人間ではないことがわかったでしょう。その私が言っているのです。『瞑想の力を理解していない人は、損をしている』と。そうは言っても私は、この瞑想というものにまとわりついている印象が、どこかうさん臭くて面倒で、ある種宗教的であることをよく理解しています。

 

私は『内観』という修行をしましたが、それは、一週間ひたすらあぐらをかいた状態、あるいは座禅をくんで目を閉じ、自分の心と向き合う精神修行です。私はとても向上心が強く、無知で無力な現状を変えられるなら、ということで、たまたまそういう機会があったので、それを行うことにしました。

 

この瞑想や内観による効果の実力は、以下の記事を見るのが一番早いでしょう。この記事は私が書いたものですが、幾人もの偉人の言葉と、幾冊もの由緒ある本をまとめ、『自分の心と向き合う』ことの重要性を説いたものです。

 

 

 

馬並師匠

まずは宗教的であるということで抵抗感がある人はその誤解を解くべきだね!
ふむ!

さる

この章のまとめ
  • 瞑想はリラックス効果があるし、宗教的ではない。

自分の心を整えるために瞑想をするべき

例えばその中から、『瞑想』というキーワードが入った文献を引用してみましょう。

 

新渡戸稲造の著書、『自分をもっと深く掘れ!』にはこうあります。

『人はとかく見込みはつけやすいが、見切りはなかなかつけがたいものである。うまく見切りをつける人は非凡な人である』

 

(中略)

 

もっとも、こんなふうに講釈する私自身も、見切りをつけるにはどこら辺までを程度とすべきか、はなはだ迷っている。思うに、これも日ごろの瞑想が積もったならば、それぞれの問題によってその程度をはっきりと感知し得るようになるであろう。正しく考えればものの道理は明らかになる。全力で事に処していけるようになる。

 

新渡戸稲造は、瞑想によって自分の心を整えれば、曇りなき眼によって正しい判断ができるようになり、人生に悩むことが激減すると言っています。

 

心理学者でストレス・コンサルタントのリチャード・カールソンの著書、『小さいことにくよくよするな!』にはこうあります。

毎日、一人きりの静かな時間をもつ

 

(省略)私はこの十年、ストレスや管理の仕事をしてきた。そのあいだに、さまざまな人たちとの出会いがあった。心が穏やかで平和な人で、毎日ほんの少しでも自分だけの時間を削り取らない人にはお目にかかったことがない。

 

ほんの10分の瞑想でもいい。自然のなかで過ごすのもいい。バスルームのドアに鍵をかけて10分間の入浴を楽しむのもいい。自分だけの静かな時間をもつのはとても重要だ。一人きりの時間をもつと、その日の騒音や混乱が薄らいでいく。

 

リチャード・カールソンは一日ほんの10分の瞑想でもいいから、そのようにして心を整える時間を確保することの重要性を説いています。

 

『7つの習慣』にはこうあります。

刃を研ぐー精神

 

精神的な側面を再新再生することは、人生に自己リーダーシップを発揮することである。この側面の再新再生は、第二の習慣と非常に深く関係している。精神的な側面とは、自分の核であり、中心であり、価値観に対して決意することである。これは極めて個人的な領域であり、かつ、人生において最も大切なものである。この側面で刃を研ぐことによって、自分を鼓舞し高める源を見出し、なおかつ、全人類の持つ普遍的な真理に深く結び付くことになる。

 

(中略)

 

偉大な宗教改革者である、マルティン・ルターは、次のように言ったことがある。

『今日はすべきことがあまりにも多いから、一時間ほど余分に祈りの時間をとらなければならない。』

 

彼にとっては、祈りは単なる義務ではなく、自分の力とエネルギーを倍増させてくれる源であった。ある禅僧は、どんなに大きなプレッシャーや困難に遭遇しても、全く動じることのない静穏と平安を示していたという。ある人が、

『どうすればあなたのように平常心を保っていられるのでしょう』

 

と尋ねたところ、彼は、

『私は瞑想の場を離れることはない』

 

と答えたという。つまり、彼は早朝に瞑想を行い、その時の平安な状態を一日中自分の頭と心の中に抱きながら、生活していたのである。

 

著者のスティーブン・R・コヴィーは、平常心を保つために、ルターやある禅僧と同じように、瞑想の時間を確保することが大事だと説いています。いずれも皆、

 

自分の心を整えるために瞑想をするべきだ

 

と説いているということで一致していますね。下記の記事にも、サッカー日本代表選手の長谷部、長友選手のことについて書きましたが、稲盛和夫や様々な経営者を含め、一流の人は皆、一日30分程度でもいいから、このように自分と向き合う時間を確保しているのです。

 

 

馬並師匠

瞑想の力がどれだけ大切かということは、一流の人であればあるほど理解しているということだね!
なるへそ!

さる

この章のまとめ
  • 自分の心を整えるために瞑想をするべき。

宗教的に考えたい人はそうしてもいい

私は無宗教者だと言いましたが、『四聖』に数えられる、

 

孔子

孔子

 

ソクラテス

ソクラテス

 

ブッダ

ブッダ

 

キリスト

キリスト

 

そして世の偉人たちの言葉と向き合っています。

偉人

 

もし、宗教的な話として瞑想の話が聞きたいなら、別にそれも可能です。例えば、『心配事の9割は起こらない: 減らす、手放す、忘れる「禅の教え」 (単行本)』にはこうあります。

引きずらない、抱え込まない 『心を整える場所』を生活空間につくる

 

(省略)『ご先祖様に手を合わせる』という行為は、単なる儀礼的なセレモニーではありません。それは、代々受け継いでくれたことによって、いま自分がいただいている命に対する感謝、生かされていることへの感謝をご先祖様に伝えることでもあったのです。ご先祖様がいない人など、この世に一人もいないのです。

 

(中略)日々の生活をすうるえで、私たちはさまざまな経験をします。なかには仕事の失敗や人間関係のもつれなど、心にわだかまったり、気持ちを落ち込ませたりする経験もあるはずです。それらについて率直にご先祖様にお話しする。ご先祖様の前では不思議と『素』の自分になれるのです。

 

もちろん、ご先祖様から答えが返ってくるわけではありませんが、思いのたけをぶつけることで、心は穏やかに、安らかになってくる。閉塞感を打ち破り、気持ちが前向きになるのです。ご先祖様の前で過ごすそんな時間は、『心を整える』ためのものでもあった、といえるかもしれません。

 

仏壇の前でも墓前でもいいですが、そうしてご先祖に対して心で話しかける。亡くなった大切な人でもいいですね。するとどこか、心が落ち着いてきて、穏やかになってきます。そういう風に、心を整える時間を確保することが大事であると、古今東西のありとあらゆる識者たちが、口をそろえます。

 

 

そしてそれは、実際に内観を経験し、日々内省を積み重ねている私自身がよく理解していることです。例えば私はブッダの超訳記事で、

 

 

というものを書きましたが、これは私の独自解釈です。しかし、知れば知るほど、自分の心に目を向けることの重要さ、そして、そうしない人々が達観した気になっていることの滑稽さを知り、このような超訳記事を書いたのです。

 

馬並師匠

宗教が抵抗ない人はそう解釈してもいいよ!そんなものはどっちでもいいんだ!
うーむ、なるほど!

さる

この章のまとめ
  • 宗教的に考えたい人はそうしてもいい。

一人の男をブッダにさせた瞑想

下記の記事に書いたように、ゴータマ・シッダールタという一人の青年は、ブッダになる前、どこにでもいる若者と同じように、こうした性衝動に支配される、一人の人間だったのです。

 

 

しかし、(このままではいけない)という強い衝動にかられ、妻と子を置いて、悟りを開くための旅に出ました。一説によると、シッダールタが妻と子供を置いて旅に出ようとするとき、妻に、

 

子供の名前すらまだ決まっていないのに

 

と引き止められました。そこでシッダールタは、『悪魔』という意味の、

 

羅睺羅(らごら、ラーフラ)とでもつけておけ

 

 

と言いました。これを浅薄に考えると釈迦は単なる冷酷人間ですが、実はそこにあるのは『子供への執着』です。つまり、自分の家族のことが大事だという感覚が自分にあり、しかしそれは『自分本位な感情であり、博愛的ではない』という葛藤があったのです。

 

つまりこの感情の揺れを『天使と悪魔の葛藤』とした場合、『悟りを開こうという志』が天使、子供が『悪魔(自分の志を揺り動かす驚異的な存在)』、であるということになるのです。

 

つまり、シッダールタはそれだけ名残惜しかった。自分の家族との別れが辛かった。だが、それは自分本位な感情であり執着。そういう気持ちを人間全員が持ってしまうからこそ問題が起きてしまう。だからこそシッダールタは、自分がまず率先して子供や家族への執着を捨てることを決意し、そう行動したのだということなんですね。

 

彼はそこから6年間、35歳になるまで苦行という苦行をやり続けました。

 

  • 何日も断食する
  • 何日も逆立ちしながら寝ないで瞑想する
  • 水の中に沈んで息をとめたまま瞑想する

 

しかし一向に彼が『悟り』を開くことはありませんでした。この世の苦しみから解放される知識を自分のものにすることができなかったのです。ただひたすら、自分の身体が衰弱してしまうだけでした。

 

 

『超訳 ブッダの言葉 エッセンシャル版』にはこうあります。

苦行と断食をやめたブッダは、修行仲間たちから『いくじなしめ』と罵られ、仲間たちはかれを見捨てて去っていきました。けれども回復したかれは他人に何と言われようと気にすることはなく、菩提樹の木の下で穏やかに座禅を始め、そのままずっと座り続けました。これまで鍛えてきた精神統一タイプの瞑想にふけることなく、あくまでも瞑想の集中力を道具につかって、自分自身の心を見つめることをしました。

 

禅定の強い集中状態で自分の心を見つめると、心の構造が無意識の奥まで見渡され、そこに隠れてうごめいている心の歪みがことごとく焼き尽くされてゆく。それとともに、心と身体を裏から操っている法則性を悟って解脱したゴータマ・シッダールタは『目覚めた人(ブッダ)』になったのです。このとき、ブッダは35歳。

 

彼は快楽を死ぬほど味わいました。そしてその後6年間、自分をただただ痛めつける時間を過ごしました。その中で瞑想もしました。しかし、そのどれもが彼の心を達観の境地にたどり着かせることはできませんでした。

 

しかし、修行を終えた35歳のとき、瞑想の方法を変え、目を向ける矛先を『自分の心』や『この世のあるがまま』に変えたとき、彼は悟りの境地を見たのです。

 

例えば、『諸行無常』を知りました。

 

  • 時間は流れ、宇宙はうごめき、命の火は消え、物質は分かれる。風は吹き荒れ、大地は鳴り響き、海は揺らいで、炎は燃え盛る。

 

同じ場所に在ると思っても、見えないレベルで動いている。同じ形で在ると思っても、分子のレベルで分かれている。宇宙は今この瞬間も動き続けていて、星はいつでも衝突して消滅する可能性を持っている。この世は常にそうして、流動変化している真理を理解したのです。

 

 

それを知ったとき、ブッダの心は安穏に満たされました。なぜなら、『最初から終わっていくと決まっているものに、すがりついていた自分の心の方こそ、間違っていた』という決定的な事実を理解したからです。つまり、見るべきなの以下の記事。

 

 

 

馬並師匠

瞑想で答えを得てブッダになったんだね!ゴータマ・シッダールタという一人の人間を悟りの境地に立たせたのが瞑想だったんだ!
うーむ、なるほど!

さる

この章のまとめ
  • 釈迦がブッダになったのは瞑想だった。

インサイド・アウト

この世を生きるのがどうしても辛く、苦しいと思ったとき、人はどうしても悲観的になり、ある種の悲劇のヒーロー、ヒロインになります。しかし、その現状の打破をするためのカギを握っているのは、周りや環境ではなく、自分なのです。

 

その『インサイド・アウト』の真理を理解すると、人の心は必ず平安に満たされます。

 

なんだ。自分次第でどうとでもなるのか。この世は全て、自分の考え方一つだ。

 

そう思えるからですね。ここまで考えたとき、もし不安や緊張、あるいはプレッシャーや過去のトラウマに引きずられ、交感神経が優位になり、心因性EDになっている人は、どう思うでしょうか。

 

 

心を平安に満たし、ストレスやプレッシャーから解放される『瞑想』というものは、ときに一人の人間を『ブッダ』の境地にさせる、あまりにも有益な手段なのです。

 

馬並師匠

自分の心が身のまわりの結果に大きく影響しているからね!インサイド・アウトの重要性を理解しよう!
うーむ、深い!

さる

この章のまとめ
  • 心因性EDと瞑想の関係性について熟考する。